雑筆

 こんな家に住んでほしい

 長く住むために

 住まいの暖かさ、涼しさ
 ひと工夫

 こんな家に住んでほしい

 以前から気になることがあります。日本中どこをみても、何をみても個性が感じられなくなっていませんか。ホンダの車がトヨタと変わらなくなり、街を歩く人のファッションはみんな同じ方向を向き、ブランド品を持って安心している光景をみると悲しくなってしまいます。
 先日も電話機を買い換えようと電気店へ行ったのですが、どれも同じヌルヌル、鏡餅にデカイ文字・・・日本にプロダクトデザイナーはいなくなったのか!・・・結局古い電話機で我慢しています。
 個性を主張することは、そんなにカッコ悪いことなのでしょうか。価値観の相違だといわれるとおしまいなのですが。価値観の多様な時代といわれて久しく、反発する相手もいない今、しっかりと自己を認識し主張する必要があるのではないでしょうか。

 本題に戻りますが、これが「自分の家」といえる家に住んでほしいと思います。そしてその家は「長生きする家」であって欲しいと思います。環境問題も避けて通れません。1件の家をつくるということは それだけで膨大なエネルギーと資源を消費します。少なくとも2、3世代は住み続けられる家、記憶に残る家であって欲しいと思います。20〜30年で壊しては建てる消費財ではなく、文化の蓄積として認識されるべき時代に日本もきていると思います。

 建築は、強さ・用・美 を兼ね備えていなければいけない、といわれています。
強さ = 構造的強さ、耐久性がなくてはいけません。
用 = これも当たり前ですが使えなくてはいけません。住めなくては住宅ではありません。 機能的であること、そして当然からだに害のある材料は使えません。
美 = 美しくなければいけません。見る人、体験する人の心を動かす何かがあるかどうかだと思います。絶対的な美なんてものがあるかどうか怪しい時代に、「長生きする家」とは矛盾するかもしれません。でも誰もが認める、世代を超えて認められる美ってあると思います。

−埼玉住まいの会 会報原稿より− (2003年)